なぜかを追い求めるための時間
受験対策としての問題を見ていると、
数学などでも、ただ計算だけ出来ればいいとか、
公式に当てはめて問題を解けばいいとか言ったものでなくて、
なぜそうなるのかを、いろんなことから集約して、
考えるためのものなのだということが見えてきます。
それに気づけるかどうかで、時間の使い方も正解率も違ってくる。
実際に学んだことをどれだけ発展させて使えるのか。
よく、方程式の利用で、
時速何キロで歩く人を追いかける話が出たりすると、
その人の速度なんかわかるわけがないから、
「絶対使わんし~」、とかいう人が現れる。
確かに、中学で覚えることをすべて使うわけでなくても、
その考え方や、工夫の仕方を学ぶことで、
いろんなアイデアや、社会への対応の仕方や、
自分が一番輝く世界を探すきっかけになるのだから、
何とか一夜漬けで丸暗記で終えてしまえ、なんて言うのは、
考える力までは到達しない可能性が大きい。
実際は、とてもうらやましかったんですけどね。
一夜漬けで覚え込んで、
終わったら忘れ去る人。
何でそうなるの?って欽ちゃんではないけど、(知らないだろーな)
って、考えてしまう人は、
なかなかめんどくさく追及する覚え方をしてしまう。
でも、
そのほうが、正解だと、思うのです。
だって、せっかく時間使っているのなら入れ込まないと、
それこそ忘れ去る覚え方では意味がない。。
役に立つ覚え方をしないと、
効率的に使えない。
理科の「仕事」って、本当にそのまんま仕事でも通用する内容なんですよね。
ってことを具体的に話すと、
かなり自分の仕事率の悪さに
気付くことにつながったりする。。。
受験の問題を見ていると本当に使える知識になって、
自分の将来に役に立つものになっているかを
確認するためのものなのだと、
感じるわけです。
だから、問題を読んで、
ちょっと大きな目線でとらえるようにと、
今までの勉強があってこそではありますが、
話してみると、
言われるままを使って解けるものではないと
気付き始める。
そうやって、考え方をつき進めて、
頭の中を使いまくっている感じが、
もう最高に、伝わってきます。
意欲的に取り組めるのは、
それだけ考える力ができている証拠だと、
もう感動してしまうのです。